低空飛行net

名古屋駅西と高畑で活動するひきこもり・メンタル系自助グループ
低空飛行netのブログです

カテゴリ:日記 > 言葉

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大雨でしたが大丈夫だったでしょうか。
やるべき事が手につかないまま時間だけ過ぎてしまう日々ですが、何とか生き伸びたい。


来週16日(月・祝)海の日には7月の低空飛行net定例会があります。
初参加・見学を希望する方は こちら に目を通してから一度ご連絡ください。

これまで定例会、 低空飛行第2@高畑 に一度でも参加した事のある方は特に連絡不要です。
話すのが苦手な人は、黙って座っているだけでもいい集まりとなっています。
(話を振られたくない方は自己紹介時に「今回は聞くだけで」と言ってもらえれば振りません)
初めての方、久しぶりな方も気楽にご参加ください。


前にもお伝えしましたが、今回は実験的に19時くらいから食事タイムを設ける予定です。
近隣のコンビニ等に弁当やおにぎりを買出しに行ったり、家から持ち込むなりしていただければ。
(勿論いつもと同じく、必要なければ無理に食事を摂らなくても全く問題ないです)

以前から食事をしても良いという事にはなっていましたが、自分が食べないからか
皆も遠慮してしまっているかもしれないので、時間を設定して食事しやすい雰囲気を作れればと。
20:30に終了して帰宅してから夕食だと(自分の場合は)22時近くになってしまいますし、
先月のように、座れる店を探して30分も彷徨う事になってしまうのも避けたい。

そんな感じですので、よろしくお願いします。


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先週は仕事帰りに会の人(+飛び入り参加の人)と 言葉の魔法展 に行ってきました。
展示されているのはジブリ鈴木プロデューサーの「書」です。


名古屋出身の鈴木Pが子供時代を過ごした場所の地図があり、出生地が昭和区の元宮で
「宮さん」と縁があるとか、徳川園で遊んだとか、絵が得意で松坂屋に貼り出された事があるとか、
よく知っている地名と結びついた思い出話を見て親近感を覚えました。

他にも所持していた漫画や、寺山修司、萩原朔太郎などが並ぶ本棚を再現したセットがあったり、
編集者時代のアニメージュや、ドラゴンズファンなので関連の新聞記事も展示されていたり。


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展示の真ん中あたりと終わりには写真撮影OKのスペースもありました。
有名シーンの前に台詞の書がぶら下がっている所、 油屋 のジオラマなどが撮影できます。
書が1つ書かれたおみくじも100円で引けます。(何かポーンと床に投げ出されたのを拾った)


鈴木Pが座右の銘にしているという、 江南の曼陀羅寺 で見たという言葉
「どうにもならんことは どうにもならん どうにかなることは どうにかなる」
も書になっていましたが、これが今回一番の"言葉の魔法"だったかもしれません。
どうにもならん事に執着しないためにも何度も思い出したい言葉です。

16日まで開催しているので、関心を持たれた方は定例会の前に立ち寄ってみてはどうでしょうか。


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終了後はタイ料理の店に行くも満席だったので、あんかけスパゲティの店に。

今回飛び入り参加した人は低空飛行netより前からの付き合いで(というか初期は一緒にやっていた)
 3月のスピーカーズビューロー 以来に会いましたが、相変わらず自由にやっているようで何より。
毎年律儀にプレゼントをくれるのでお返しに食事を奢りました。


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その後は飲める人と純米酒の店に。
ここは「利き酒コース」を頼むと1時間何種類でも飲めます。

変な目線の入ったラベルの酒は「ビクトル投げからの膝十字固め」という
なかなか言葉の魔法感が強い名前の1本でした。蔵元の人(元レスリング部)の持ち技だったらしい。


一緒に行った人がハイペースで飲んでいて、同じペースで飲んでいたら潰れると思い
後半かなりセーブした甲斐もあって、あんかけスパを胃に収めたまま帰る事ができました。
店に傘を忘れた事に気付いて取りに戻る失態はありましたが、良い気分転換になった気がします。


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来週15日はまた15時から開けてます。都合の良い時間にどうぞ。
新規参加・見学希望の方はこちらに目を通してからお越しください。



先日、祖父が他界しました。
あと3ヶ月ほどで90になる予定だったので十分に長生きしたとは思いますが、
まだ歯が23本も残っているのが自慢で、車も運転できるくらい頑健だったので
もう少しだけ長く生きてもらいたかったです。
でも入院中は苦しそうだったし、楽になれて良かったんでしょう。
自分は今こんな事をしている、と報告する相手がいなくなってしまったのが寂しい。


祖父母とは2011年の暮れまで十数年会っていませんでした。
親類は自分が入院した経緯なども知っているので、様々な理由で会えなくて。
うつで弱っていた時期で、目的を決めず歩いて、川を3本越えて、いつの間にか
祖父母宅の近くまで来ていました。冬の街灯の下で30分くらい訪ねようか、
そのまま帰ろうか迷って、意を決してインターホンを押したのを覚えています。

その後、去年2回会いに行って、先週の病院を合わせて計4回会えました。
渡したかったもの、話したかった事、小さな後悔は無数に思い浮かびますが、
まだ元気なうちに会えたので大きな後悔はせずに済んで良かった。


他と一緒のお別れはできなかったけど、自分なりの喪の作業はできた。
自分の事をわかってもらえていないまま、永久に話す機会を失ってしまっても
いいのか?という思いに後押しされて会いに行ったあの冬の日から、毎回
これが最後かもしれないと思いながら、1年と4ヶ月かけて長いお別れをしていた。

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いつの間にかもう年の瀬です。
新年1月3日には大須観音へ初詣に行く予定です。
暇だったり家に居たくなかったりする方はお気軽に参加ください。


初詣だとかたこ焼き会だとか、そういった楽しげな場の中に
昔の孤立していた自分なら入って行こうと思えただろうか?
というような事をよく考えます。


月に一度の低空飛行の会では、慣れない人がアウェーな空気を
感じにくいような場にしたいと常々話していまして、その辺りは
他の参加者の方々にもある程度共有されているように思います。
(あまりキッチリするのも疲れるので、まあ気に留める程度に)

同時に、せっかく知り合ったのだから一緒に行事に参加したり、
食事に行ったりと内輪な関係性も深めたい人もいるでしょう。

ですので、月に一度話だけしたいので会にのみ参加、
できるだけ関係を広げ・深めたいので他の交流にも参加、など
それぞれが得意な距離感で関わってもらえればと思っています。


わざわざ言うまでもない事とも思いますが、一度「こんな考えですよ」
と明文化しておいた方が判断材料になるかなと書いてみました。
「そういう関係は苦手だから、この会は向いてないかな……」と
見に来た人に思われてしまっても勿体無いですし。

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来週19日に開きますので、来られそうな方はお気軽にどうぞ。
行くと言っておいて行けなかったら……と不安になってしまう方、
メールのやり取りが苦手な方などは、連絡なしでもOKです。


弱音や愚痴というものは皆が持っているものですが、

そういう事を吐き出しづらい力関係の中にあったり
今ある関係が崩れるのが怖くて、つい我慢してしまっていたり
自分の感情を言葉にするのが苦手だったり
そもそも誰も話す相手なんていない……という環境だったり

で、自分の中に溜め込んでしまう人もいると思います。
普段とは違った人間関係の場を持って、そこで吐き出せれば
現状を考え直すなり、また我慢するなりできる余裕も生まれます。


悩みを話し合う場というのは、吐き出せる場であるだけでなく
普段助けられる一方の役割しか持てず、負い目を感じている人が
話の聞き役という比較的簡単な役で貢献できる場でもあります。

労働以外で社会に接続される道が見つからないために
自尊心を回復する手段が断たれている……みたいな話を
たまにしますが、文字だと硬くなりすぎてしまうんですよね。長いし。
その辺はいつか面倒くさい話が好きな人とじっくりしてみたいです。


シンプルに友人を作りたいという目的で来てもらって大丈夫です。
少なくとも一人はできます!
誰でも最初は知らない人から始まりますからね。
違和感から始まって、もしかしたら一生涯の友人になるかもしれない。

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昨日は遠方の友人と久しぶりに会えました。
この所ずっと大変そうなので、何か少しでも力になれればいいんですが。
自分にはいざという時、頼れる人がいるだろうか。先の事を考えていかなければ。


話は変わりますが、メンバーの人ともいつの間にか付き合いが長くなってきました。
今年の始めにはまだよく知らない同士、おっかなびっくり距離を測りあっていたのが
今では一緒に出かけたり、冗談を言い合えるようになっている。
考えてみればすごい事です。

「きみの薔薇をかけがえのないものにしたのは、きみが、薔薇のために費やした時間だったんだ」
という星の王子様の狐が言った台詞(訳者によって微妙に違う)を思い出します。
共に重ねた時間によって、お互いの関係性や感じ方が変わっていく。

いつか見た景色も、食べた料理も、つまらなかった映画も、何もなかった日でさえも
誰かと共有した時間は、いつの間にか特別な、かけがえのなさを帯びている。

他者でありながら、自分の思い出の一部でもあるような存在になっていくというか。
(家族や身内への愛着というものは、拡張された自己愛でもあるのかもしれない)


経済学的に言うと埋没費用の考え方にも通じる話かもしれません。
DV被害者は、まさにその人のために費やした時間とかけがえのない思い出に
縛られて、合理的な損切りができず自分の時間を投資し続けてしまう、みたいな。


前半を文学的にかっこつけすぎたので、最後にバランス取ろうとしたんですが
余計な事を書いてしまった気もします。

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